1954-12-16 第21回国会 衆議院 農林委員会 第2号
おつしやる通りに、事業年度の終りにならなければ、実績の上からはどこどこが元々通り行われたとか、どこどこがどの程度縮減されたということはわからないはずでありますが、こういう点はおわかりであろうと思う。きまつたものを節約するというか、きまつたものの中からほかの方にやりくりをして出した際に、一ぺん割当てられた予算をその中から天引きして五分なり一割なりを出すようなやり方をやられたのか。
おつしやる通りに、事業年度の終りにならなければ、実績の上からはどこどこが元々通り行われたとか、どこどこがどの程度縮減されたということはわからないはずでありますが、こういう点はおわかりであろうと思う。きまつたものを節約するというか、きまつたものの中からほかの方にやりくりをして出した際に、一ぺん割当てられた予算をその中から天引きして五分なり一割なりを出すようなやり方をやられたのか。
第四は、今局長から仰せになりましたのでお聞きしする必要はありませんが、被害を少くし、或いは元々通りに復活するように努力しようというのですから、その点はいいのですが、三つの問題を併せてお聞きしたいと思います。
以上で全般のことを終りますが、なお各項目について考えておりますことを申し上げますと、先ほども申しましたように、元々通りの恩給を復活していただいたのに比べて、三分の一になつておるでございますから、その中には私どもとして幾多の不満、不服があるのは、御想像にかたくないと思うのでございます。しかしながら、それを一々取立てて言つても切りはございません。また国家財政も考えなければなりません。
結局旧軍人軍属の恩給が従前通りであるということになりますので、そのポ勅のあるときだけは軍人軍属の恩給をやめて、それを廃止すると元々通り恩給法、基本法によりまして軍人軍属の恩給が復活するというのと同じ結果になるものと考える。あえて私たちが現在昭和二十一年の軍人軍属あるいは遺族という、そういうものの名称はなくても、附則において公務員として依然として恩給権利はある。
従つてすべての問題の欠陥、矛盾というものがここから生じて来ますので、数年前からしばしばこの問題が論議をせられました通りに、元々通りのいわゆる鉄道省式に、運輸省がやつて行く、こういうものに返して行くか、あるいはもう少し営業を主として行くところの、独立採算を主として行くところの自由なやり方にして行くか、二つのうちどちらかにしなければやりにくいのではないかという議論が、数年来しばしば論議せられたことは御承知
○政府委員(中島征帆君) 七十五條で消滅するというふうに明瞭に書いてあります場合というものは、簡単に申しますと、復旧工事が完了いたしまして、地方が十分元々通りに回復したと認められる場合、こういう場合に消滅させるというのが本旨であります。
元々通りなんだからそれでいいのだということは、これも苦しい言いのがれなんで、やはりこれはいわゆる逆コースじやないかと思うのですが、そういう点からお考えになつておられないのかどうか、理想的な地方観法をおつくりになり、地方財政の確立を理想とされておりますのに、こういう行き方が今度の改正法案に出て来たというのは非常に遺憾なんですが、そういう点と関連してお考えになつたのですか、ならないのですか。
その後私どもは、こうしたことが二度とないようにというので、ホースの修理、機械の修理を急ぎまして、ようやくにいたしまして元々通りに回復をいたしました。今後はいかなる火災といえども善処したい、かように思つておるのでございます。
このまま仕事ができるような状態に置いてくれれば、元々通り仕事をする。それで行つてくれないかということを訴えたところ、全面的に拒否されたから、やむを得ず、もうこれ以上ここにいるわけには行かぬ。帰るからお願いします。こう言つたのであつて、決して初めから乱暴したのではない。前にお話のあつた通り、乱暴者は安定所長であり、警察官であるというようなことはないと私どもは信じております。
従いましてこの川内川の流域に対するところの災害復旧ということが、年々政府も県も地方町村も最大の努力の一つとなつて参つておるのでありますが、復旧と申しましても元々通りにはならない。
それから第二点は、都市局の百二十四億円の予算のうち、区画整理費は五箇年計画で一年当り二十五億円ほどになつておりますが、そうしますと、残り百億ほどのものが、区画整理以外のそれに伴う道路、水道等の施設ということになるのでございましようが、私はここで特に申し上げたいと思いますことは、先ほど河川局の御説明の中にありました通り、災害を復旧してでき上つても元々通りであるというのはお説の通りであります。
常に申すことでありまするけれども、完全にでき上りましても元々通りであります。都市計画こそ日本國土再建の唯一の花形でありまして、都市計画を完全にやつておかなければ焼土と化した日本に、奬來何一つ残らないということになるのでありまして、これにこそ全國民は心魂を打ち込まねばならぬのであります。
そういう結論から、最初の川崎工場のできたときは全剰電力であつたのですが、途中でもつて電氣の消費が多くなつて、あすこはコークス法にかえたのですが、しかしこれは元へもどして全部電解でさしつかえない、こういうことで、実はあすこえ元々通りの三十万トン設備を復旧することにきめたのであります。